中国



検閲?


 中国に行ったことがあるといっても上海近辺と香港だけ。天安門も万里の長城も見たことはない。関空から上海に飛んで、初めて楊子江(長江)を間近に見たときはさすがに広いと思った。
 1999年6月、無錫市内のホテル(写真のようなかなりの高級ホテル)にしばらく滞在した。当時のホテルにはまだ高速インターネットの設備などは無かったので、部屋からの電話回線で繋ごうと思った。あらかじめ調べて行った市内のプロバイダにかけるが、どうしても繋がらない。しょうがないので、日本のニフティのアクセスポイントに国際電話をかけて繋ぐことにした。電話代は高くついてもそれがいちばん確実なので、台湾でも韓国でも、国内のアクセスポイントがダメなときにはそうしてきていた。
 到着した日はそれですぐに繋がった。2〜3本のメールを送受信しただけだったので、5分くらいの接続で用は済んだ。これくらいなら国際電話でもまあそれほどの金額ではない。ところがところが、翌日からは同じようにやってもどうしても繋がらない。中国語で何かメッセージが返ってくるだけ。フロントに文句を言ってみたが全く要領を得ない。ふむふむ、これは多分誰かの意思が働いているのだな、と思った。オリンピック中でも情報操作する国で、それよりも何年も前の話なのだから、自由にインターネットにアクセスできるはずはなかった。
 しかし、使っていたのは完全に音声の回線、てことは、電話の音声もちゃんと聴かれていたってわけ?

注)2008年現在は、少なくとも仕事のメールは問題なくやりとりできます。念のため。




麻婆豆腐


 上海から北に車で4〜5時間、塩城というところに機械のデモンストレーションをしに行った。当時は高速道路も新幹線もなく、雇ったタクシーの運転手は運河沿い堤防の道路を120キロくらいで飛ばす飛ばす。乗客は自分と通訳の人だけ、もしここで正面衝突とかしてみんな死んだら日本にちゃんと連絡がいくのだろうか?などと考えていた。実際、大形のコンバインとぶつかりそうになって肝を冷やした。

 塩城はまあまあの都会で、通訳の呉さんと二人でレストランに行き、それほどうまくもない料理を食べていると、ウェイトレスの女の子が自分の方を見て何か聞いている。通訳に聞くと、「なぜこの人は言葉がわからないのか?」と聞いていたらしい。言葉のわからない人は珍しかったということか。

 ホテルの地下レストランでも食事をした。メニューから自分に読めるものを探すと「麻婆豆腐」の文字が目に入ったのでそれを頼んだ。これが、食べられないほどまずい。ひょっとしたら、これがホントの中国料理の麻婆豆腐の味で、自分は本当の味を知らないだけなのかと思って、通訳の呉さんに食べてもらったら、やっぱりひどくまずいとのこと。安心した。無理やり全部食べたけど。
 




久々上海


 2008年11月、8〜9年ぶりに上海に来た。ずいぶんの変わりように驚いた。空港からのリニヤモーターカーは時速400キロで走り、いつの間にか地下鉄網も出来上がっている。栓抜きみたいな高層ビルも建って、夜景はごらんの通り。まあ、ちょっと路地に入れば「アジアの雑踏」は相変わらずではあるが、やっぱりすごいエネルギーだ。

 尚、今回泊まったホテルにはLANのインターネットが完備していた。ただし、ちょっと政治臭のするサイトやニュースはやはりブロックされていて見ることができなかった。
 



二酸化炭素が・・・温暖化が・・・

 見た中でいちばん派手だったビル。たぶんショッピングモールだったと思う。さすがに京都議定書なんて関係ない国だけのことはある。店の前の大通りは歩行者天国になっていて、色んな国の人たちが歩いている。端から端まで約200メートルくらい歩く間に、「社長!時計安いよ!カバン安いよ!見るだけ見るだけ!」が3人、「お兄さん、マッサージマッサージ!」が3回。
 うーん、やっぱりすごいエネルギーだわ。



上海ガニ

 お約束の上海蟹。接待めいた宴席で都合2回食べることになった。1匹98元〜160元。この写真はたぶん高かった方だが、甲羅の横幅で6〜7センチくらいだったと思う。一応純正産地を証明するシリアル番号が書かれたプラスチックタグが付いている。

 結局のところ、どうしてみんなそんなに食べたがるのかわからないままだった。カニみそと言ってもほんの少ししか無いし、肉に至っては殻ごとじゃないと食べられないくらい・・・。この少なさがいいんだろうなぁ、と無理に納得してみた。

 ホントのところは、しばらく前にテレビのバラエティー番組で、上海蟹の漁師(もしくは養殖業者)のことが映っているのを見て、こんな汚い湖で育っているものなんて食べたくないなぁ・・と思っていた次第。でも食べたけど。 




  
戻る
   次へ