八郎潟





 子供の頃、親父が突然「八郎潟に住もう」と言い出したことがある。当時、干拓事業が完成に近づき、何期目かの入植者を募集していた。地平線が見えるような広い場所で、大きなトラクタやコンバインを使ってやる農業には夢があるような気がした。もちろんそのためには大きな借金が必要で、家族で色々話し合った末、結局は行かなかったが、もし行ってたら今頃は自分も大規模農家をやっていただろうか?

 その後ずいぶん経って、仕事で数回八郎潟を訪れた。男鹿駅前の旅館に泊って、車で干拓地内のあちこちを見てまわった。それぞれが直角に交差しながら、あれだけ真っ直ぐに続く道路はなかなか他では見られない。

 入植の完了とほぼ同時期に、国の減反政策が始まったと聞く。お上の指導に反して多く作ってしまった部分の青田刈りを強要しながら、米以外は作れないことになっている、という話も聞いた。(今はどうなのか不明だが) 晩秋の頃だった。そんな話を聞いた後で宿に戻る途中、寒風山から吹き降ろす雪混じりの北風に、体全体が凍えてしまった記憶が強く残っている。

(写真はGoogleEarthで見る八郎潟)




田沢湖





 秋田県の続きになる。
 出張のついでに立ち寄った田沢湖は素晴らしい所だった。全国一と言ったかどうかは忘れたが、水の透明度がすごい。ボートの上から覗くと、信じられないくらい深い所まで湖底が見える。そのままスッと吸い込まれそうで、思わず首を引っ込めた。
 案内してくれた方によれば、ここの湖水には何がしかの毒があって魚が全く住めず、きれいなのはそのためと言うことだった。
 「清流に魚住まず」って諺もあるが、「魚が住まないからきれい」と言うのは、最後の審判後の地球みたいでちょっと嫌だった。
 いい加減なことを書いてはいけないと思って調べて見た。田沢湖は火口に出来たカルデラ湖。そのためもともとの水質が魚の住みにくい環境だったらしい。それでも昭和の初期までは鱒の仲間がたくさんいた。その後なぜか魚が居なくなった。湖畔にできた何かの施設から流れ込んだ廃水のせいで、何とか生きていた魚が絶えてしまった、という説があるが本当のところはわからない。透明度についても、昔は摩周湖についで2位だった(これは測定データが示されており、事実)が、今はかなり悪くなっているようだ。(これは諸説あり、詳細不明)



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