イギリス



ボーンマスの海岸




 この写真を見るたび娘達が笑う。「面影が無い」と言うのである。そりゃそうだ、30年以上も前、今の娘達より若かった頃の写真なのだから。髪の毛の量はたぶん今の5倍はあったはずだし。

 ベトナム戦争の終わった年、1975年夏、ボクはイギリスに居た。就職したら返す約束でかなりの借金をして、当時はまだ珍しかった「語学留学」に行った。英会話の学校は割合真面目に通ったものの、この滞在で今までの英語の授業がほとんどムダだったことを思い知り、その反面、どうにかすればどうにかなることも知った。

 行きも帰りも飛行機は南回り、羽田−香港−バンコック−ニューデリー−ベイルート−フランクフルト−ロンドン、計37時間かかった。

 いずれにしても自分にとってこれが初めての海外旅行。その後のものの考え方の原点になっているような気がする。

写真を素のまま載せるのもどうかと思ったが、考えて見れば誰も自分だとは気がつかないのだから関係ないか。



シーズンチケット




 毎日乗っていたバスの定期券。赤い2階建てのバスだった。
1ヶ月で4.2ポンドというのはどのくらいの値段だったのだろう。当時は1ポンドが700円か800円していた。面倒くさいので1ポンド1000円で計算すればまあ損はしないか、とか思っていた。レストランでそこそこのステーキを食べても1ポンド余りだったような記憶がある。遠い昔のことだなぁ。
今は1ポンド約200円くらいらしい。


ネス湖




 どうしてもネス湖に行きたかった。学校を1週間ほどサボって、スコットランド行きの列車に乗った。エジンバラ大学の学生寮に転がり込んだり、そうでなければ「B&B(ベッド&ブレックファスト)」の安ホテルに泊まり、食事はほとんどFish&Chips(昔は安かった)かチャイニーズの貧乏旅行だった。もう一度行ってみたいが、たぶん無理だな・・


卒業式




 ほんの短い夏休みの間、それもひとつ上の写真のようにサボりながらの語学学校だったので、卒業式というほど大げさなものではなかったけれど、それでも何がしかの感慨はあったような気がする。生徒はみんな英国風のニックネームをつけてもらって、授業中はその名前で呼び合っていた。ちなみに自分の名前は「David」、横の女の子は「Mary]だった。何故なのかは説明がなかった。たぶんどうでもよかったのだろう。
 何にしても、学生生活最後の年、借金をしてでも行っただけのことはあった。


  
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