(やっと本州へ)
山口は、販売店実習で、萩から近い徳佐というところにある店にしばらくお世話になった。
秋真っ盛りの頃、仕事は忙しかったが気候も良く、もともと肉体労働のほうが好きなので、暖かな秋の日差しの中、よく働いた。店の庭に植えられていたキンモクセイの香りが今も記憶に残っている。 店長が気さくな方でギターも弾かれたので、夜などは大学生の娘さんのピアノも一緒になって合奏したりした。
休みの日には、萩や津和野に連れてってもらい、高杉晋作や吉田松陰のことをよく教えてもらった。
実習も終わりに近付いた頃、店長に「うちの娘のムコにならんか?」と真顔で言われた。娘さんは困っていたが、もしそうなっていたら今ごろどうしていただろうかと時々考える。たぶん、油にまみれてスパナを握っているだろうな。そんな人生もまあ悪くはない。
(写真は萩市の松下村塾)
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1980年頃だったと思う。仕事で柳井と言うところの駅前(港のそば)に宿をとった。
釣りの好きな先輩がいて、近所の釣り道具屋さんで簡単なセットを買い、朝早く起きて桟橋で釣り糸を垂れてみた。
何かモゾモゾした引きを感じて竿を上げてみたら、得体のしれない生き物がうごめきながら餌を飲み込んでいた。
後から聞くと「海ケムシ」と呼ばれる生き物らしい。あまりにも気持ち悪くて釣り糸を切って、早々にその場を引き上げた。
写真はGoogle
Earthで見た現在の柳井港。当時とは全く変わってしまっている。
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