南紀か紀南か



 紀伊半島の南の方をみんな「南紀」と呼ぶが、昔からそこに住んでいる人は南紀と言わずに「紀南」(きなん)と言う。湘南、阪南、道南って言うのだから紀南で良いはずだが、いったいいつから南紀と言う呼び方が定着したのだろう?

 その紀南に住んでいた頃は、少しでも早く田舎を出たいと思うと同時に、田舎の発展を心から望んでいた。一時ウワサのあった原子力発電所さえも、出来ればいいと考えていたくらいだ。
 今、長く離れて暮らしてみて、つくづく変わらないことの有り難さを感じる。帰省の際には、もう少し高速が伸びてくれたらと思うこともあるけれど、昔遊んだ山や川がそこにあるというだけで気持が安らぐ気がする。

 写真は、近くの山にある大きな檜の木。外材に押されて、もし今切って売っても木出しの工賃も出ないかも知れない。山がだんだん荒れていく・・・



熊野古道



 前にも書いたが、自分の田舎の家は熊野古道(大辺路)の横にある。と言うより、家の母屋と納屋の間を熊野古道が通っていると言ったほうが正しい。毎年、村人総出での山道の草刈があって、ボランティアを気取る訳ではないが、今年も参加した。

 ほとんど丸一日かかって、何とか作業はやり終えた。ナタの切れ味も一応大丈夫だった。それにしても今日は暑かった。
 草刈りをしたのは写真のような山道。世界遺産になったばかりの頃は熊野古道がブームだったこともあって、たくさんの人が歩いていた。最近はそれほどでもないが、それでも天気の良い日曜などは遠くから歩きに来る人もいる。ここを歩く人はたぶん誰も草を刈っている人のことは思わないだろうな。

 尚、下の写真は、同じ町内でももう少し離れたところにある、有名な那智山近くの大門阪。





四季




 田舎に帰るたびに、庭先の風景を同じところから撮っている。春夏秋冬それぞれの趣があって、なかなかおもしろいものだ。

 


  
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