台湾



龍と瀧




 アメリカを鼻の差で押さえて、今までに一番多く行った国は台湾、途中から数えるのをやめたが、多分15回は訪れている。
 初めて行ったのは1983年、まだその頃の台湾には戒厳令(1987年解除)が布かれていて、「絶対に港や軍の施設にカメラを向けてはいけない」とか、「密告制度があるから、とにかく街中で目立つことはするな」とか言われて、ビクビクしながら行った。
 現実にはぜんぜんそんな雰囲気は感じられず、古い人には日本語もよく通じたし、「徳を以て怨みに報いる(以徳報怨)」という蒋介石の考えがあったせいかどうかはわからないが、旧植民地だったにもかかわらず日本人に対してはものすごく友好的で治安も良かったので、のびのびと過ごすことができた。
 ある時、夜店で買い物をして、多分酔っ払っていたのだろう、店の前で後ろのポケットから財布を落としたことに気がつかなかった。しばらく歩いていると、店のおばちゃんが後ろから走って来た。彼女の手には僕の財布が・・・。ホントにいい国だなぁと思った。

 上の写真は確か1999年の大地震直後に行った時のもの。(謝さん、黄さん、郭さん、みんな懐かしいなあ。)画面右手の橋が完全に落ちてしまっている。川が段差になって小さな滝のようになっているところは、地震の前には同じ高さだったらしい。これだけの高さがズレて断層になったのだと言う。
 この場所が何か名所のようになっていて、橋のたもとにはもう露店の土産物屋が出来ており、中国人のたくましい商魂を感じた。
 そうそう、その時一緒に居た現地の謝さん(右端の人)に、「瀧(滝)」という字は「龍(竜)」にサンズイが付いただけで、中国語での発音は同じ。水が竜のようになるから滝なのだ、と教えてもらった。さすが漢字の国。


ハイビスカス




 台湾での仕事はいつも屋外だったので、自然には親しむことができた。写真は田圃の傍に咲いていたハイビスカスの花。一番南の屏東市に行った時には、まわりはヤシの木だらけで、さすがに北回帰線を超えれば熱帯なのだなあと実感した。この他にも、異国情緒豊かなビンロウジュ、レイシなど、熱帯の花や木がいつもそばにあった。果物ではスターフルーツと釈迦の頭が印象深い。
 


食在台湾




 昼飯はいつもこんな調子、現地の人が入ると知らず知らずのうちに宴会になっていく。台湾ビールで始まって、紹興酒や、ひどい場合には白酒(パイチュウ)っていう70度くらいのお酒まで出てくるので、しばらくは仕事にならなくなる。台湾はどんな小さな食堂で食べても何もかも安くておいしい。特に水餃子と焼飯は最高だった。さすが「食在台湾」と言われるだけのことはある。
99年1月12日の日付が見える。正月早々の出張だったのだろう。
 


航空博物館




 今は新しく大きくなっている中正国際機場(空港)だが、それほど遠くない前の古い空港のそばに「航空博物館」というのがあった。いつもタクシーやバスで横目で見ているだけだったので、そのうち行きたいと思っていた。ある夏の暑い日、たまたま乗る飛行機まで時間があったので、同僚と一緒に行って見ようかということになった。すぐ近くと思ったので、タクシーも呼ばずに歩き始めた。すぐに後悔した。すぐ近くと思ったのは完全に錯覚で、車なら5分ほどの距離だったはずだが、30数度の炎天下、いくら歩いても着かない。汗だくになりながら小一時間歩いてやっと着いた。
 展示している飛行機は旧式のものばかりで、それほど見るべきものもなかったけれど、「歩いて行った」というところに価値を感じたい・・。ちなみに、客はほとんど居なかった。
 


陳さん




 これも多分一番上の震災後間もない頃に行った時のものだと思う。仕事はまあまあうまく行ったので、現地ディストがご馳走してくれた。黄さんに陳さん、謝さん、いろいろお世話になった方々である。
 自分の右隣の女性、名前を「陳玉慧」さんと言った。日本語がペラペラで仕事のよく出来る人だった。日本語の音読みで名前を呼ぶと「ちんぎょくけい」、訓読みだと「ちんたまえ」さん、こう呼んだら本人は非常に嫌がっていた。セクハラだな・・・。
 



  
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