交通科学博物館





 大阪は第2の故郷、というよりむしろこっちの方がずいぶん長くなっている。田舎の言葉はほとんど忘れて、完全に大阪弁に変わってしまった。大阪生まれの女房に言わせると、たまに変なイントネーションが出ることがあるらしいが、まあどこから見ても大阪人だろう。

 会社に入ったばかりの頃は、日本全国どこに行ってもかたくなに大阪弁しか使わない先輩方に、いくばくかの反感を持っていたが、いつの間にか自分がそうなってしまっている。

 それにしても、小学校の修学旅行で初めて大阪に来た時、まさかこんなに長く大阪で暮らすことになるとは夢にも思わなかった。その時訪れた中で、一番印象深かったのが弁天町の「交通科学博物館」だった。まだあるのだろうか?とネットで調べてみたら、そのまんまあった!。展示物はさすがに少しは変わっているようだが、写真の鉄道パノラマ模型などは遠い記憶に残っているのと寸分たがわず同じなのにはびっくりした。いや、よく見ると「700系のぞみ」が走っているところは違うか・・・。



わが街、高槻





 高槻市には、通算でもうかれこれ27〜8年は住んでいる。公立学校の教育レベルが低いとか言われていた時代もあったが、まあ住みやすい街ではある。京都にも大阪にもそこそこの時間で行けるのが嬉しい。住み始めた頃と比べれば、高槻の駅前も随分変わった。大きな高いビルが建って、不思議なもので、あれだけ親しんでいたにもかかわらず、変わってしまえば、それこそアッと言う間に古い町並みのことは忘れてしまう。住み始めた頃は木造の駅舎だったような気もするが・・・。

 駅前は都会だが、ちょっと北側に15分ほど自転車を漕げば、まだまだ緑豊かな田舎の山と田んぼが広がる。この先、いつまで住むことになるか?

 写真は2008年1月現在の高槻駅前。ちょっと前までこの辺りにはゴチャゴチャした小さな飲み屋や飲食店がいっぱいあった。




  
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