カンニング

 4月になりました。入学式のシーズンです。そう言えばしばらく前、入学試験での携帯電話とネットを利用したカンニングが話題になっていましたね。入学試験の問題を携帯電話で手早く打ち込んで、インターネットの質問サイトに投稿、そこで教えてもらった答えを答案用紙に書く、というものでした。

 これだけ携帯電話に代表される小型情報機器やネットが発達している世の中のことですから、こういった方法は誰でも考え付くとは思うのですが、まさか実際にやってしまう人がいたなんて、ちょっと驚きでした。携帯にしてもパソコンにしても、以前の尖閣諸島のビデオ流出事件でもそうでしたが、サーバーを通したアクセス経路を解析して、誰がいつどんなサイトにアクセスしたかという事を当局が調べるのはいとも簡単な事なのだ、ということをあらためて思い知らされた事件でした。 

 こうして見ると、匿名性という点で自由社会のシンボルであるように思えるインターネットも、現実には全然そんなことはなくて、しっかりと裏で見張られている可能性があるかと思うと、ちょっと怖い感じさえします。

 このカンニング事件と前後して、小さな女の子がトイレから連れ去られる事件がありましたが、これを迅速に解決したのは、あちこちに設けられた防犯カメラの記録映像でした。このような情報が凶悪犯罪の解決に役立つというのは有難いことです。ただ、今は犯罪が起きてから初めて使われている映像情報が、未然防止の名の下に国民の監視目的で使われるようなことになれば、映画「マイノリティーレポート」のような、とんでもないことになってしまいそうです。映像解析技術とコンピュータがもう少しだけ進化すれば、これは実現可能なはずですから。
話が少し脱線しました。冒頭の話題に戻ります。入学試験の不正を容認するのではもちろんありませんが、あそこまでマスコミが騒いだのはちょっと行き過ぎという感じを持っています。
現実の社会ではカンニングとは言わないまでも、自分で手に入れる事ができるあらゆる情報を集め、それが出来ない場合は、それについて良く知った人に協力を仰いで問題解決にあたるというのは普通のことです。自分の場合でも、仕事に必要な情報をネットで調べるのは日常的なことになっていますし、辞書で調べることや簡単なメールの翻訳でさえも、ネット無しでは考えられない状況です。
また、人の頭が記憶できることには限りがありますので、当然外部の情報ストックに頼らなければなりません。一昔前ならば、テレビや電話、それから書籍などがこの役目を果たしていたのでしょう。

 昨今では、この役目はほとんどインターネットに置き換わってしまったと言えます。以前は、出版物に比べてインターネット内の情報は不確実で精度が低いと言われていましたが、その出版物さえも、そっくりそのままネット内に取り込まれるような状況となりつつある今日、こんな議論はナンセンスかも知れません。物書きの先生や大学の教授のステイタスシンボルとも言える「部屋一杯の書物」が、小さなメモリー1個の中に入ってしまい、携帯端末の操作だけですぐネットから読み出せる時代なのですから。

 もう一つ、インターネットの特長は「インタラクティブ(双方向性)」であることでしょう。上記のような質問サイトばかりではなく、例えばオークションやショッピングのサイト、それからSNS(ソーシャルネットワークサービス)や動画投稿サイトでも、ユーザーの意見が直接的に、しかもリアルタイムで伝わる仕組みになっています。それをたくさんの人が同時に見て、何らかのアクションをし、さらにそれに対する意見がまた出て、という具合に、従来では考えられなかったスピードで、また予想もしなかった方向に世論が形成されたりします。中東やリビアで発生したさまざまな政治問題も、ネット上の動きが発端であると言われていますね。

 そのうち、携帯電話のほとんどが、自由にネットにつながるスマートフォンに変わってしまうのではないかと思います。そうなれば、この傾向はもっともっと強くなるのでしょう。冒頭の予備校生は時代の最先端を走っていたのでしょうか?

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